BLOG

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】 - OTHERS その他 |IMG_9205

こんにちは。
本日はゼニスの救世主として名高い『シャルル・ベルモ』に焦点を当てて、ご紹介したいと思います。
ゼニスの歴史、時計の一大産業地でもあるルロックル、スイス時計史においても偉大な功績を残したで人物です。
是非、最後までご覧くださいませ。
『シャルル・ベルモ』はゼニスのマニファクチュールから、わずか8kmという場所で生まれました。
彼は、キャリアの大半をゼニスにクロノグラフを納めていた主要サプライヤー『マルテル・ウォッチカンパニー』で過ごし、1959年にゼニスに買収されたことで、ゼニスへ籍を移ることとなります。
設計部門のシニアエンジニアであった彼は、多くのムーブメント開発に携わりましたが、その中に彼が伝説になるムーブメント『エル・プリメロ』も含まれていました。

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】 - OTHERS その他 |RD_2

エル・プリメロは、開発に5年以上の歳月を要し、1969年に世界初の高振動自動巻きカレンダー搭載クロノグラフとして発表されます。自動巻きで薄型、高振動で時を刻み、精度にかけては類を見ない時計として誕生しました。
いわゆるモジュール式が主流だった時代に、一体型で作成されていることで、クロノグラフでありながら薄型を実現しました。

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】 - OTHERS その他 |watchmaking

エル・プリメロは当時かなり優れたムーブメントではありましたが、5年にもわたる開発は会社へ大きな負担となったことは否めず、会社はアメリカのシカゴに本社を置くゼニス ラジオ コーポレーションへ売却されることとなります。

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】 - OTHERS その他 |Manufacture_2

1971年から1978年まで経営権が移ることとなり、その当時多くのアメリカ企業は、クォーツムーブメントの開発へとシフトする決断を発表しており、ゼニスも例外ではありませんでした。
当時、クォーツは、精度、生産性共に機械式時計が直面する全ての課題を克服する物と思われていたためでした。

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】 - OTHERS その他 |IMG_9210


これを受けて、シャルル・ベルモ氏はシカゴの親会社に手紙を送り、この素晴らしいムーブメント エル・プリメロ、『せっかく同社が獲得したばかりの自動巻きクロノグラフを捨ててしまうのは是非とも考え直すべきだ。』と説得を試みました。
彼は強い信念と共に、会社の将来にとって引き続きそれが重要な役割を果たすと信じていたからでもあります。
しかし、彼の進言は採用されず、1975年に、旧マルテル・ウォッチカンパニーの社屋は閉鎖され、エル・プリメロを含めたすべてのムーブメントは破棄、それらを作成するための工具、機械、部品もまた、処分されることとなってしまいました。
その後しばらく、スイスでは自動巻きクロノグラフはほとんど生産されなくなってしまったそうです。

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】 - OTHERS その他 |A5F03DC8-6ECE-4E55-889B-09F56C52D59C

ゼニスは、新しい生産ラインでクォーツ技術を作成しようとしますが順調にはいかず、その他にもクォーツ時計の欠点なども見つかるなど、1978年にはゼニスが再度スイスの経営者たちに売却されることとなります。

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】 - OTHERS その他 |y-1024x768

ここで大きな転機が訪れます。
現代において、エルプリメロと聞くと思い出されるのがロレックスのデイトナに搭載されていたということではないでしょうか?
しかしながら、多くのユーザー様はその裏にあった逸話を知る方は少ないと思います。
1982年に、ロレックスが自社製品デイトナの近代化を図っていると業界では話題となっていました。
オスカー・ウォルデン(Oscar Waldan)という人物がロレックスに接触し、エル・プリメロを売り込みます。まさにそのエルプリメロこそ、ロレックスが探し求めていたものでした。
なぜなら、近代化の時計の波に乗るためには、手巻きから自動巻きへの変更、それに加えムーブメントの薄さが必要でした。現状のオイスターケースに手を加えることなく収められる必要があったためです。
しかしながら、ゼニスがロレックスと約8億2000万円相当の10年大型契約を獲得するには、エル・プリメロの生産を再開しなくてはいけませんでした。
当時エル・プリメロは10年もの長い間生産されておらず、一から開発するには途方もない年月が必要となるはずでした。 ゼニスの首脳陣が頭を抱える中、あるひとりの男のおかげで、この社運を賭けた契約は成立することとなります。

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】 - OTHERS その他 |IMG_9562-1024x768

それが本日の主役であるシャル・ベルモでした。 
彼は、工場が閉鎖される前に、『破棄しろ』という会社に逆らい、エル・プリメロの製造に使われていた機材を解体して、それを密かに工場の屋根裏部屋に運び上げていたのです。
約10年間、それらは無傷で保管されることとなりました。
そして彼の勤勉な記録管理のおかげで、製造過程を再開させる方法、必要な部品の全てには丁寧にラベルが貼られるなど、ゼニスにとっては、再び機械に多額の投資をすることなく、エル・プリメロの製造を再開させることができたのです。
彼の行動はゼニスだけでなく、ルロックルの時計産業を守ったといっても過言ではなく、まさに救世主となったわけです。

ゼニスの救世主『シャルル・ベルモ』をもっと知ってほしい!?【ゼニスブティック大阪】 - OTHERS その他 |IMG_9210

一時は完全に用済みとされていたエル・プリメロは、わずか数年で市場で最も有名なのムーブメントとなり、90年代末には、時計よりもムーブメントを多く生産する会社になっていました。

 エル・プリメロを救うことで、実質的にゼニスをも救ったシャルル・ベルモと、今では英雄視されるようになった彼の行為は、ル・ロックルで忘れられてはいない逸話となっています。
そんな『嘘のような本当の話』です。
現在のエル・プリメロも50年以上前のエル・プリメロを基本として作成されています。
きっとこのストーリーは、時計を使用するすべてのユーザー様に大きな付加価値を与えてくれるのではないでしょうか?
是非、店頭で過去に思いをはせ時計をご覧になりませんか?
皆様のご来店を心よりお待ち申し上げております。

関連記事一覧

おすすめの記事